ミレイちゃんに憧れてスクールに入ったぐみちゃん。最初の頃は、「自分には特に悩みはない」と思っていました。
でも、こころの学びを続けるうちに気づいたそうです。
自分の感情を閉じていたから、そもそも何が悩みかすら分かってなかったんだ――。
私は何を感じているの?
どうしたいの?
私は何者なの??
ぐみちゃんの“自分とつながる”旅は、今も続いています。
抑えてきた感情に触れて、ほんとうの自分を知りたくなった
ぐみちゃん(薬剤師、30代、スクール1期生、4期再受講)
いつも緊張して、身体がこわばっていた
――まず、スクールに参加した理由を聞かせてください。何か悩みがあったの?

何か悩みがあってスクールに参加した、というわけではないんです。むしろ、自分が何に悩んでいるのか、当時は分かっていませんでした。
理由を挙げるなら、ミレイちゃんかな。LMTレッスンに何度か参加したことがあって、ミレイちゃんがスクールを始めるなら絶対に参加しようと思っていました。

ありがとうね。そう思ってくれた理由は何だったのかな。

それが何だったのか、はっきりと自覚していたわけではありません。もしかしたら、「私自身が変わりたい」という気持ちがエネルギーだったのかも。自分以外の何者かになりたい、自分じゃない素敵なものになりたい。もっと言えば、「ミレイちゃんみたいになりたい」。多分、それが参加の理由だったのかな。
私が素敵だと思う人は、能力が優れてるだけじゃダメなんです。女性としての美しさも兼ね備えていることが、私にとってはすごく大事だから。

ありがとう、受け取ります(笑)。
でも、「私みたいになりたい」という言葉が少し気になりました。ぐみちゃんがなりたい自分以外の誰かって、どんなふうになることなのかな?

ミレイちゃんを見ていて、すごくリラックスしているな、という印象を受けました。私もそんなふうになれたらいいな、って思ったんです。
私自身はすごく構えているし、周りに対して壁を作っていることにも気づいていました。仲のいい友達を除いて、職場では自分のことをあまり話さないようにしてきたし、場が盛り上がってつい自分のことを話してしまったときには、「余計なことを話してしまった」と後悔の念が湧いてきて、また自分を閉ざす。そんなことを繰り返してきました。
周りに対していつも緊張しているから、身体もこわばって、肩こりもひどい。全然リラックスできていない。自分で自分を閉ざしていることは分かっていたけど……、苦しかったですね。

「リラックス」がぐみちゃんのキーワードなんだね。
グルコンで初めて感情があふれ出た
――スクールのグルコンで、他のメンバーの話を聞きながら、突然ぐみちゃんの目から涙があふれたことがあったよね。あのとき何が起こっていたのか聞かせてくれる?

メンバーが、子どもの頃にお母さんからしつけと称して地下室に閉じ込められた話をしてくれたんですよね。そうしたら急に涙があふれてきて、自分でも驚きました。
私の話をすると、私は小さい頃、家の周りの塀の上に置き去りにされたことがあります。その塀は今の私の身長よりも高いので、子どもの私は絶対に降りてこられません。しかも、夜の暗闇の中に置き去りにされたんです。
その出来事は私の記憶にずっと残っているし、友達に話したこともあります。自分がその記憶を呼び起こしても、これまで感情に触れることはありませんでした。「そういうことがありました、以上」。そういう事実はあったけれど、自分とは距離が離れた出来事のような感覚。
でも、彼女の話を聞いたとき、私の中で確かに感情が動いたんです。それがどんな感情だったのかはよく覚えていないけれど、自分の中から感情が出てきたのにはびっくりして。
――そうだったんですね。

そのあと、ミレイちゃんがすすめてくれた、天外伺朗さんの『自己否定感』を読みました。
その中にあった「情動の蓋」というキーワードが私の中に残っていたんですが、そのキーワードとグルコンで私に起きたことが結びついて、気づいたんです。
あ、私の中にも情動の蓋があったんだ。
それがあのとき初めて開いたんだ、って。
情動は身体で感じるもの

起こった出来事に言葉が充てられて、ラベリングできたことで、自分の中で一致したんだね。
これが情動の蓋なのか、これが開いちゃうとこうなるんだ、って。

はい。日常的に感じるちょっとした「うれしい」とか「悲しい」とか「イラッ」とか、そういった感情は当然、出てきています。でも、一番大事な感情は、感じたくないものとして蓋をしていたのかな、と本を読んで気づきました。

天外さんが、感情の蓋じゃなくて、「情動の蓋」と表現しているのがさすがだなと思いますね。ぐみちゃんが言ってくれた「イラッ」とした感情のように、思考レベルで感情を把握することが私たちにはあると思うんです。イラッとするのは、私たちの中に「こうだったらいいのに」「なんでこうならないの?」といった信念や価値観があって、その通りにならないことに対して自動的に生じることがあります。つまり、頭で考えているということ。
情動はもっとプリミティブなもので、身体の内臓の感覚を伴って起こってくるものです。ぐみちゃんが小さい頃にそんな出来事を体験したということは、身体レベルですごく緊張を留めているはずなんだよね。だから、普段感じている感情とは違うレベルの情動が、メンバーの話に刺激されて出てきたのかもしれないね。
――情動の蓋が開いたあとはどんな感じですか?

それがですね、蓋がとても頑固で、また閉じたというか(笑)。これまで自分の感情や情動を抑えつけて生きてきたから、なかなか開かないですね。
情動の蓋を私なりにイメージして描いてみました。真ん中の大きいのが情動の蓋です。その周りにある小さい蓋は、普段感じている感情の蓋。これはペコペコと開きます。真ん中の大きな蓋も、子どもの頃はマンホールの厚さくらいだったのが、大人になるにつれてどんどん厚くなっていって……。

ワインのコルクみたいになってるね。

そうなんです。私の情動の蓋はこんな感じなので、「開いた」と言えるかどうか(笑)。
――ただ、蓋があることに気づいたんだね。

そう。この蓋については、無理矢理に開けるというよりは、時間をかけてこの中に何が詰まってるのかを見ていきたいと思っています。もしかしたら、蓋があることに気づいたことで、中のものが昇華されてなくなるかもしれないし、あるいは何かのきっかけで強制的に蓋を開けることになるかもしれないし。今は無理になんとかしようとせずに、のんびりと、蓋に気づきながら一緒にいる、という感じかな。それと同時に、「この蓋を誰かが無理やりこじ開けてくれることを望んでいる私もいるな~」と感じています(笑)。
ノーを言えた自分に「よくやった!」
――仕事についても聞かせてください。「職場で降ってくる過剰な要求に対して、自分の要望を伝えられた」とグルコンで話してくれたことがあったよね?あれもすごく印象に残っています。
ぐみ

嫌な仕事を断れたのも、スクールに入ってからの変化ですね。
以前の私は、仕事を頼まれたらすべて「イエス」でした。それがどんなに無理難題でも、引き受けることを前提に、どうやって進めようかとすぐに考え始めていました。「断る」という選択肢がなかったんです。
でも、あのとき初めて、「この仕事やりたくない」という感情が自分の中に湧いていることに気づきました。そして、「この仕事を断っていい」と思えて、それを実際に行動に移せたのは、私にとっては大きなチャレンジでした。
――仕事を断るのは怖くなかった?

ものすごく怖かったです。少し前から仕事を頼まれそうな予感はあって、断るための心の準備はしていたものの、断れるかどうかは自信がありませんでした。でも、相手の頼み方がとても威圧的だったので、これは自分を守らなきゃと思って、「無理です、やりたくないです」と伝えたんです。「嫌なことをやめてみる」というミレイちゃんの言葉にも、ずいぶんと背中を押してもらいました(笑)。
――仕事を断るのは怖いですよね、共感します。それで、断ってみてどうですか?

相手は私が断ったことが気に入らなかったようですが、私としては、嫌なことを嫌だと言えた自分を「よくやった!」と褒めたいですね(笑)。実際、あの仕事は「やりたくない」だけでなく、私よりも適任者がいることも分かっているから、私が引き受けるべき仕事ではなかったんです。そのことに納得感があるから、「ノー」と言えた自分は「よくやった!」という感じです。
――もし、スクールに入る前だったらどうなってたかな。

多分、断れなかったと思います。そもそも仕事に「やりたくない」は許されないと思っていたので、嫌々引き受けて、仕事量がすごく増えていたと思います。
(その後ぐみちゃんは、その職場を去る決断をしました)
自己表現を通して自分自身に出会っていく
――6カ月のスクールが終わってしばらく経ちますが、今、取り組んでいることはありますか?

自己表現を通して、自分が何者なのか、自分の輪郭や自分自身を知ることを課題として取り組んでいます。
――ミレイちゃんにすすめられて書いているnoteも自己表現の一環ですね。

そうです。noteでは、自分の中で湧いてきたことを掘り下げて書いていますが、そうすると「私、こんなふうに考えてたんだ」ということに気づけるんです。
自分は何を大事にしているのか、ほんとうにやりたいことは何か。それを知ることが今の課題です。できることを表面的にやり続けるのはもうつまらない!という気持ちがあります。自分がほんとうは何をやりたいのかを、ちゃんと知りたいです。
――ミレイちゃんからもらった言葉や考え方で、印象に残っているものはありますか?

こころの学びに足を踏み入れた私たちは「変態」だ、ってミレイちゃんが言っていたのが印象に残っています。「変態」という言葉を聞いたとき、すごくうれしかったです。私、この言葉がすごく好き(笑)。普段は自分がそんな雰囲気を出しているつもりはないですけどね。
他にもいくつかあります。「自分との和解」、「嫌なことをやめてみる」、バウンダリーの考え方、「0か1かではなくて、その間の選択肢もある」。セッションでは、「分かろうとしなくていい」「無理に言葉にしなくていい」という言葉もよくかけてもらいました。
――「自分との和解」は自己受容につながる言葉ですが、ぐみちゃんはこの言葉をどんなふうにとらえているの?

私は、自分で自分のことを非難してしまいます。非難してくる私もひとりじゃなくて、いろんな私が非難してくる。非難している私に対して、非難する私が出てきたり。自分の中で非難の応酬が起こっているんです。
自分と和解することで、非難の応酬を止めたいというのもあるけど、それよりも、自分の中で分離しているいろんな自分がひとつになっていけたらいいな。今は自分責めが常に起こっているので、自分の中に居場所がない感じなんです。自分と和解できたら、自分の中に安全安心な居場所ができそう。それが「自分との和解」の私なりの理解です。
プロセスを信じて進んでいくだけ
――こころの学びを続けてきて、今はどんな気持ちですか?

この先どうなっていくのか、ほんとうの自分といつ出会えるのか、それが楽しみです。ただ、自分と向き合うのは怖いし、苦しいこともたくさんあると思うんです。でも、以前の自分に戻るつもりはありません。だから進んでいきたい。

前には戻りたくない、という気持ちはとっても大切。あきらめなければ道はひらけるから、絶対に大丈夫だよ。

その言葉と、自分を信じていきたいです。
まだ学びのプロセスの初期にいると思うので、これからどう変わっていくのか、変わらないかもしれないし、変わるかもしれない。力技で変化を起こそうとせずに、自然な流れでそれを楽しみにしていようかな、と今は思っています。

自分と向き合っていくことにゴールはないし、ずっと続いていくよね。だから、どこかに目標を決めるとか、こうなりたいとか、こうなったらほんとうの自分だとか、そんなものは必要ないんだよね。これからも気負わずに、気楽にやっていったらいいんじゃないかな。
――ぐみちゃん、ミレイちゃん、ありがとうございました。このインタビュー企画も、目標を決めずに、気負わずにやっていこうと思います(笑)。
(インタビュー・文 前田はるみ)