なんか生きづらいなぁ。

そんなふうに感じるのは、もしかしたら、自分ではない何者かの“仮面”や鎧をかぶって、「こうでなければならない私」「こうありたい理想の私」を必死で演じているからかもしれません。

高校の国語教師だったのりちゃんも、そうでした。生徒からは慕われ、同僚からは頼られる“しっかり者”の先生でしたが、周りの期待に応える仕事をするのは当たり前で、自分で考えて工夫して期待以上の仕事をして一人前だと一生懸命取り組んでいるうちに、どうにも苦しくなって、休職する道を選んだのです。
 
そんなのりちゃんも、LMTスクールでこころのことについて学ぶにつれ、鎧を脱ぎ、本来の自分を取り戻しつつあります。これまでの歩みと今の気持ちを語ってもらいました。

鎧を脱いだら、ワクワクいっぱいの自分に出会えた

のりちゃん(高校教師・休職中、50代、スクール1期生、4期再受講)

“教師の仮面”で生きていたら、自分のやりたいことが分からなくなった

仕事をしていたときの私は、「教員かくあるべき」という縛りが自分の中にありました。
 
例えば、「こんなことやって意味あるの?教員の自己満足じゃないの?」と疑問に思うことはたくさんあったけれど、それを「嫌です。できません」と断る選択肢は私にはなかったんです。
 
なぜなら、「教員だから嫌とは言えない、言っちゃいけない」と思っていたし、そんなことを言って「熱意がない」と評価されたり、教員失格のレッテルを貼られたりするのが怖かったから。

むしろ、周りの期待に頑張って応えていました。期待以上の仕事をしようとする自分に満足感や優越感を覚えることもあった。例えば学校で何か問題が起きて、あえて私が出て行かなくてもいい場面でも、「私がなんとかしなきゃ」と引き受けたりして。
 
「自分がこうしたいから、こうする」じゃないんです。
「この状況から考えると、こう動くのがいいよね」と瞬時に判断して、ほんとうは気が進まないのに、気が進まないかどうかの感覚はどこかへ追い出して、周りの期待に沿った行動をしてしまう。まるで、脊髄反射のよう(笑)。

ドクターXの大門未知子みたいに、「いたしません」と言いたかったなぁ。
でも、言えなかったの。
そうやって自分を抑えて我慢ばかりしてきたら、苦しくなっちゃったんです。
自分がほんとうは何がやりたいのかも分からなくなっちゃった。

人生をレベルアップしても、何かが違う

嫌と言えない代わりに、私がやったことといえば、自分をひたすらレベルアップさせていくことでした。

今までよりも優れたやり方や便利なツールを手に入れて、それらを使いこなすことによって、問題をクリアしていく。

40代で大学院に入り直して新しい指導法や考え方を学んだのも、私にとってはパワフルな装備を身に付けるようなもの。もちろん、それによって生徒も私も授業を楽しめるようになったから、装備がものすごく役に立ったのも事実。

頑張って何かを成し遂げたら、次のステージに進む。

そこでのミッションをクリアしたら、さらに次のステージへ。

立ち止まったらゲームオーバー。とにかく前に進むことが生きること。
それが人生だと思っていました。

まるでロールプレイングゲームみたい(笑)。

スキルをたくさん身に付けて、仕事もそれなりにこなせるから、傍目にはうまくやっているように見えたかもしれません。教師という仕事も、「安定した仕事でいいね」「やりたいことやれていいね」とうらやましがられることもあります。

でも、心の奥底では「なんかイマイチだな」とずっと思ってた。自分の人生なのに、自分の人生じゃないような……、違和感や居心地の悪さ。

かといって、「安定した仕事に就いているんだから、不満を感じてちゃいけない」とも思っていた。

そうやって自分をごまかし、納得させて生きてきました。

そんな生き方が行き詰り、「もう無理!」となって、2年前から休職しています。

ちょうどそのころ、ミレイちゃん主宰の「自分とつながるスクール(現・LMTスクール)」を知りました。事前説明会で「やり方じゃなくて、あり方を整えることが大事だよ」と教わって、ハッとしたんです。

やり方さえ身に付ければうまくいくと思っていたけれど、そうじゃないんだな。

藁をもすがる思いでスクールに参加しました。

ぐちゃぐちゃしゃべっていい!?

「ぐちゃぐちゃ話していい」と言われたときは、正直言って戸惑いました。

「理路整然と話さなくてもいいし、かしこそうに話さなくてもいいよ。パッと思いつくことをぐちゃぐちゃしゃべっていいんだよ」。

そんなふうにミレイちゃんは言うけれど、「ぐちゃぐちゃしゃべっていい、ってどういうこと??」。私の頭は疑問だらけでした。

私は国語教師です。

「根拠と理由を述べよ」と生徒に指導してきたから、頭に浮かんだことをそのままダラダラ話すとか、ポイントが曖昧で着地点のない話などもってのほか!でした。

それに、教室では生徒を平等に扱わねばならないという考えが強いから、「6人で3時間なら、1人30分」とかすぐに考えちゃう(笑)。ひとりで延々としゃべる人には苛立ってたし、「状況を的確に把握し、瞬時に検討し、誰もが納得する対応をしなければ!」という考えにどっぷりつかってた。

でも、スクールでは、しゃべりたければしゃべればいいし、しゃべりたいことがなければ、しゃべらなくていい。誰かがしゃべるのをただ聞いているだけでもいい。言葉に詰まってもいいし、感情が溢れてきたら泣いてもいい。

人それぞれ違っていいし、その時々の状態でも違っていい。

スクールは、それが許容される場所でした。そういう場所に身を置いてみると、無理せずありのままの自分でいられる安心感がありました。

実を言うと、私はしゃべるのが大好きです。

ほんとうはいっぱいしゃべりたい。

でも、「自分だけしゃべりすぎて、相手に迷惑をかけちゃいけない」という思いが強かったから、しゃべりたくても我慢していたところがあったんです。

だから、好きなだけしゃべれて、それを聞いていてくれる人がいる。そういう感覚は新鮮だったし、うれしかったです。

それで思い出したのは、私、泣く女が大嫌いでした(笑)。

今でも覚えているのは、中学校の体育祭でのこと。誰がどの競技に出るかでもめたことがあって、みんなで決めたことに不満があるのか、泣いている女の子がいました。

私はその子にすごく腹が立った。「泣いたってしょうがないでしょ!」と内心では怒ってた。

それって結局、「私がこんなに我慢してるのに!」という苛立ちの裏返しだったんだな。私は自分の要望を言わずに我慢しているのに、その子は泣くことで自分の主張を通そうとしている。それが許せなかったんだろうな、と今は思います。

自分の気持ちに気づいて、それを叶えてあげる

「自分とつながる」って、どういうことだろう?

スクールに入る前は、「自分とつながる」という世界があることを知らなかったので、すごく興味が湧きました。

初めて自分とつながる感覚を持てたのは、3回目のグルコンのときです。私は自分のことを話しながら、自分がいろんなことを我慢してしまうのは、幼い頃からの父との関係が少なからず影響していることに気づきました。

すると、ミレイちゃんがそれを拾ってくれて、私のオープンカウンセリングになっていきました。
 
そのとき、いつもの癖で、「私のためにみんなの時間を使うのは心苦しい」という気持ちが湧いてきました。私のカウンセリングでみんなを重い気持ちにさせたら申し訳ないな、って。

ただ、いつもと違ったのは、「今感じていることを表出したい」という自分の気持ちにも気づいたことです。

以前の私だったら、周りに迷惑をかけないようにと、自分を抑えてしまうところだけれど、みんなが居てくれるこの場所だから、今感じていることを言ってみよう。これまでやったことないけど、挑戦してみよう。そう思えたんです。スクールで仲間と過ごした時間が、カチコチだった私の心をやわらかく耕してくれた感じ。

だから、思い切って、自分が感じたことを言ってみました。

すると、みんなは私の言葉を受け止めてくれました。

それだけじゃなく、私のカウンセリングを見て心に響いたことや気づきもシェアしてくれたんです。これもうれしかったなぁ。

ほんとうは、自分が抱えるいろんな問題にひとりで向き合うのはとても怖かったんです。でも、私はひとりじゃない。そう思えたら、仲間の存在の温かさに涙が溢れました。

これまでずっと言えなかったこと。

困ってる。
助けて。
寂しい。
一緒にいてほしい。

こういうことを言ったら、相手に迷惑がかかるんじゃないかと思って、拒絶されて相手してくれる人がいなくなると思って、ずっと言えなかった。でも、言っていいんだな。

自分の感じていることを素直に感じて、自分が「したい」と思っていることをその場で叶えていいんだな。これが「自分とつながる」ということなのかな。

それを実感できたことがすごくうれしかった。

セルフパートナーシップを練習中!

私を救ってくれたミレイちゃんの言葉はたくさんあります。

その中でも、「セルフパートナーシップ」が一番のお気に入りです。

セルフパートナーシップとは、「自分と仲良くする」ということ。

パートナーシップって、自分以外の誰かと関係を築くことだと思っていたけれど、そうじゃないんですね。

まずは自分とのパートナーシップが大事。これがスクールで学んだ大きなことです。

スクールに入る前、私には親友と呼べる人がいませんでした。

もちろん友達はいるし、初対面の人とも普通に話すことはできます。でも、腹を割って話したり、心の内を打ち明けたりできる相手はいませんでした。

ただ、それも当然のことで、自分のほんとうの気持ちに気づけないのに、他人と腹を割って話せるわけがないですよね。それが今はよく分かります。

セルフパートナーシップは、今も絶賛練習中です。

自分と仲良くするために、「今はどんな気持ち?」「ほんとうはどうしたいの?」と自分に問いかけることが増えました。

ゲシュタルト療法を学ぶようになってからは、身体の感覚にも意識を向けて、「この体の感覚は私に何を伝えようとしているのかな?」「このモヤモヤは何をしゃべりたいの?」と聞くようにしています。

最近、「身体が教えてくれる」を体験した出来事がありました。

休職して1年半が経ち、復職のためにリハビリ出勤を始めたときのことです。スクールでこころのことを学んだから、新しい自分の「あり方」で教員として再出発するつもりだったけれど、学校に行こうとすると胸が苦しくなったり、涙が込み上げたりして、学校に行けないことがありました。

復職すると決めたのだから、やり遂げなきゃいけない。自分で決めたことを曲げるなんて、お前はなんて根性なしなの!――以前の私ならそう思っていました。

でも、身体は「違うよ、違うよ」とアラームを鳴らし続けている。

学校に行こうとすると胸が苦しくなるのは、きっとそういうこと。

自分の感覚を無視して、頑張って、また同じ間違いを繰り返すの?

それに気づけたから、休職期間を延長してもらうことにしました。

大事なことは、「こうすべき」じゃなくて、「ほんとうはどうしたい?」ということ。

自分の気持ちや身体の感覚が教えてくれることを聴いて、行動を決めることができたのは、私にとって大きな一歩だったと思います。

これが「私」なんだなぁ。

今思えば、他人の評価を気にして生きていた私は、鎧でものすごく武装していました。

スキルアップして表面的にうまくやっていたのもそうだし、他人の役に立つ自分でいることで自分を守ってきたのもそう。

まるでトランスフォーマーみたいに、分厚いのを着ていた(笑)。

それが鎧だって自分でも分かっていたから、中身は空っぽな感覚がありました。

だけど、自分とつながって、鎧を脱ぎ始めた今は、全然空っぽなんかじゃない。

うれしいとか、悲しいとか、楽しいとか、嫌だ~とか、アチャチャ~とか(笑)、いろんな気持ちが次から次へと浮かんでくる。

そして、温泉みたいに湧き出てくる私自身を感じている。

好奇心いっぱいで、ワクワクするのが好きな私。

いろんなことに気づいちゃうし、動いちゃう私。

道を歩いていて、ダンゴムシがいたらずっと見てるし、アリの穴があったら、砂をかけて穴をふさぎたくなる(笑)。

じっと落ち着いてなんかいられない。3歳児みたいなものだから、しょうがないじゃない(笑)。
 
それが「私」なんだなぁ。

今まで自分よりちょっと離れたところに「こうあるべき自分」を設定して、一生懸命それになろうとしていたけれど、それってそもそも幻想だったんだなぁ。

今感じている、これが私。

昔の自分に声をかけるとしたら、「大丈夫だよ」と言いたい。

うまく立ち回るためにたくさん考えて、たくさん対策してきたけれど、そういうことは全然気にしなくても大丈夫だよ。だって、意識しなくても心臓は動いてくれているし、毛細血管が酸素を体の隅々まで送ってくれてるでしょ?

だから、いろいろ難しく考えなくても、おのずと巡っていくよ。

自分の感覚を信じて、ありのままでいればいい。

ミレイちゃんがいつも言ってくれているように、「必要なことは絶対に起こる」。

だから大丈夫だよ、と言いたいです。

(インタビュー・文 前田はるみ)