子育ての悩みをきっかけにこころの学びを始めたKちゃん。スクールに入って気づいたことがあると言います。それは、生きづらさの根っこに、「自分はダメな子」と思い込まされてきた母親との関係があることでした。
「私はダメな子」の呪縛から自分を解放し、自分のことを認めてあげたら、どうにもならないとあきらめていた母親との関係にも変化が見られるようになったそうです。自分の人生を歩み始めたKちゃんに、これまでとこれからのことを伺いました。
母との関係に傷ついた私が、「自分を愛おしい」と思えるようになった
Kちゃん(50代、保健師、スクール1期生、4期再受講)
スクールは最後の頼みの綱だった
――Kちゃんと私はスクールの同期なんですよね。今日はお話を伺うのを楽しみにしていました。まず、ミレイちゃんと知り合ったきっかけを教えてください。

――どんなところが「初めてで衝撃」だったんですか?

保健師の役割は「保健指導をする人」と法律で決められているんですが、私はそれには違和感がありました。「指導って言葉は好きじゃないな」と思っていたところ、ミレイちゃんの本は「保健指導だけど、指導じゃない」みたいな切り口で書かれていて、「私の求めているものがここにある!」と思ったんです。
これを書いたミレイ先生ってどんな人だろう?と興味がわきました。ネットで検索したら、ミレイちゃんの会社のホームページにたどりついて、LMTレッスンがあることを知ったんです。それがちょうど新型コロナが流行し始めた2020年3月で、それまでのリアル開催からオンライン開催に変更されることになり、地方在住の私も参加できることになりました。「本を書いている先生とつながるなんて恐れ多い。でも参加したい!」とメールを送ったのがご縁のきっかけでした。
――その後、スクールに参加しようと思ったのはなぜですか?

スクールが始まると聞いて、「参加したい!」と無条件に思いました。私の生きづらさは小さい頃からで、小学4年生のクラス写真には、思わず「大丈夫?」と声をかけたくなるくらい暗い表情の自分が写っています。大人になってからも生きづらさは変わらず、特にしんどかったのは、2人目の子どもを妊娠したときでした。
――何があったのですか?

私の母は、姉のことはかわいがるのに、私にはそうじゃありませんでした。そして、母と姉が一緒になって私にきつく当たるという構図だったんです。母が2人目の私をひどく扱ったのと同じことを、今度は私が2人目の子どもにしてしまうんじゃないかと怖かったんです。
それが怖かったから、親業からアクティブペアレンティング講座、四柱推命、スピリチュアルなことまでいろんなことを学びに行きました。それぞれの学びは「なるほど」と思えることもあって、自分の糧になってはくれたけれど、根本のところは全然変わらなかった。だから、ミレイちゃんのスクールは最後の頼みの綱だったんです。
認知や思考に働きかけるだけでは限界がある

いろんな学びをしても「根本が変わっていない」とは、どこでそう感じたのかな?

私の場合、母との関係がそもそもの問題で、そこに目を向けない限り、いくら表面的な問題を解決しようとしてもダメなんだなって。子育ての不安に対して「親としてはこうするといいよ」といくら教えてもらっても、それで私の生きづらさが消えるわけではなかったんです。
例えば、ある講座では「親だって人間だもの、完璧じゃなくていいんだよ」と教わります。思考に働きかけて、「そうだよね、完璧な人なんていないよね」と思う練習をするんですが、なかなか気持ちがついていかないというか……。
――思う練習ね(笑)。頭で自分を納得させるのは、私も得意だったかも。

それに対して「ミレイちゃんのスクールはすごい!」と思ったのは、思考に働きかけるだけでなく、感情や身体感覚にもアクセスするところです。こんな学びは初めてでした。また、個人セッションやグルコンなどいろんなアプローチで自分を見ていくのも、これまでの学びにはありませんでした。

認知や思考だけに働きかけるのは限界があるし、それだけでは根っこは変わらないんだよね。私が一番はまって勉強したのはアドラー心理学だったけれど、私にとってのアドラー心理学はまさにそうだった。頭では理解できるけど、根っこの部分、つまり感情が癒されていないのを感じて、アドラーからは少し離れたんだよね。
人生のあらゆる問題に共通する根っことは?
――根本の問題だったというお母さんとの関係。何が問題だったのか、もう少し聞かせてもらえますか?

母と、そして姉に対しても、自分の言いたいことが言えませんでした。私が何か言おうとしても、母も姉も「私のわがまま」としか受け取らない。「だからあなたはダメなのよ」と言われて、向こうの「べきねば」を押し付けられるから、何を言ってもムダだと思っていました。むしろ、何か言うほうが問題がややこしくなるから言わないほうがいいって。

そういうのを「学習性無力感」とも言うね。「私が何を言っても力がない」。そんな感じかな。

そうです。私の人生のいろんな問題は、これが根っこにあったと思います。つまり、母からのマインドコントロールによって「私が何を言ってもしょうがない」と思ってしまっていたこと。母の機嫌が悪いのは「私がダメな子だから」と思っていたけれど、母がやっていたことは私へのモラハラだった、ってこと。でも、当時の私はそれにまったく気づいていなくて、2人目を産んだら1人目と区別してしまうんじゃないかと、そればかり心配していました。
――表面に表れる悩みと根本の問題は必ずしもイコールじゃない、ということですね。私もスクールに入りたての頃の悩みは表面的なことだったと思います。

表面に表れるのは、例えば子育て、仕事、パートナーシップ、お金の悩みだったりして、みんなそこが入口なんだよね。でも、根っこには、「自己受容ができていない」、言い方を変えると「自己肯定感が低い」という問題がある。だからアプリケーションを入れ替えても、OSにバグがあるままだと、生きづらさは変わらないんだよね。根本のOSを整えていくことにスクールでは取り組んでいく感じだね。
「私はダメな子じゃない!」
――お母さんとの関係が問題と気づいたのには、きっかけがあったんですか?

以前からそれが問題だと気づいていましたが、母との関係を改善できるとは思えませんでした。子どもの頃から自分なりにいろいろ試してみて、大人になってからも、母と二人で海外旅行もしてみたんです。母が同じ団体旅行の人たちから「そのお洋服、素敵ですね」と言われて、「そうなの、娘が選んでくれたの」と答えるんだけど、その娘とは姉のことで……。
今でも覚えているのは、ホテルで母に言ったんです。「お母さんが言う娘って、全部お姉ちゃんじゃん!私がお母さんと二人で旅行してるのに、お母さんは全然私と一緒にいないよ」って。すると、「何をひがんでるの?」と母に言われて、大ゲンカです。私の気持ちは母には伝わらないんだな。そう思ったらすごく悲しくて……。だから母との関係はあきらめていたんです。
――そんなことがあったんですね。スクールでの学びを通して、お母さんとの問題にどうやって向き合っていったのですか?

レクチャーや課題図書による知的理解は大きかったと思います。課題図書のワークをやりながら、私は家の中で母の愚痴のはけ口だったんだな、ということに気づきました。「理解は癒しだよ」とミレイちゃんはよく言ってくれてましたが、「そうだったのか」と理解して納得することで癒されていった部分も大きいです。
それから、課題図書にあった「私が自分を受け入れるのに、他人の承認は必要としない」という言葉にも救われました。私にとって「他人の承認」とは、母と姉の承認のこと。「あなたはダメな子」と二人に言われ続けてきたから、「私はダメな子」という考えが自分にしみ込んでいたけれど、その考えはいらない!私はダメじゃない!――それに最近やっと気づけました。
――お母さんとお姉さんから言われてうのみにしてきたことを、手放していったんですね。「自分は悪くないんだ」と。

そうです。スクールの半年間と、フォローアップグルコンの1年をかけて、少しずつ取り組んできたなと思います。
「ここに居ていい」と思える場所
――他にスクールに入ってよかったことはありますか?

同期のみんなに出会えたことです。オンラインスクールなので物理的には遠いんだけど、一緒に学ぶうちに、安全安心を感じることができました。一人ひとりがいろんな問題を抱えながらも、それぞれに取り組む姿を見せてくれたことで、「みんな違ってみんないい」という感覚が自分のなかに育っていった感じです。そんな感覚は、物理的に近くにいる人にもあまり感じたことはなかったので。
――グループで学ぶよさは私も実感しています。私は仲間からフィードバックをもらえたのがよかったな。温かい言葉をもらって、「受け入れてもらえたな」と感じると、ほっとしました。

私もです。「ここに居ていい」と思えるのもありがたかった。どこに居ても「自分の居場所じゃない」とずっと思っていたけど、スクールでは「ここに居ていいんだなぁ」って。

私自身が、どこに行っても居場所がないな、こんなにたくさん人がいるのに寂しい、という感じで生きてきたから、その部分が共鳴したのかな。自分の中に感じていた寂しさに惹かれてみんなが集まってきてくれたのかな、と改めて思いました。私もみんなと居ることで「そのままの自分で居ていいんだ」と感じられているし、ありがたいなと思ってKちゃんの話を聞いていたよ。
母との関係を変えた「50代の反抗期」
――スクールが終わってからも、お母さんとの問題に向き合い続けていますね。

最近、50代の反抗期をしたんです。2カ月で終わってしまいましたけど。
――え?何があったの?詳しく聞かせてください。

母に一方的に責められたことがあったんです。かなり理不尽に。すごく悲しくなって、絶望的な気持ちになりました。今までなら、私が一方的に謝って、母の気が済むまで謝って機嫌を直してもらうのがいつものパターンなんですが、それはもう嫌だなと思って。だって、私は悪くないから。ミレイちゃんに個人セッションをお願いしたら、「お母さんのやってることはモラハラだから、Kちゃんが謝ることはない」と言ってくれました。
――それで反抗期に?

そう。私からは折れない!と決めたんです。「50代の反抗期だ!」って。怖かったけど。そうしたら母から「話をしよう」と連絡があったので、自分の思いを伝えました。今までだったら母は絶対に私の言うことを聞かなかったけど、今回は私も譲らなかったから、母は少しずつ聞く態度になって、私の話を聞いてくれました。

自分が変われば相手も変わる、ってことだよね。いろんな学びを通して、Kちゃん自身の安全安心が育っているから、お母さんとの関係が変わったんじゃないかな。安全安心が育てば、声の抑揚や周波数など微細なところで変わってくるはずだから、それがお母さんに伝わったのだと思いますよ。実際に私たちから見てもKちゃんは変わったよ。あまり泣かなくなった(笑)。
――確かに泣かなくなったし、表情がスッキリしたように感じるよ。
嘆きの中に天命あり――あらゆる経験がギフト
――いま、Kちゃんは以前の自分に何と声をかけたいですか?

よく頑張ってきたなぁ、よく生き延びてきたなぁ、って一番に言ってあげたい(涙)。これからもいろいろあると思うけど、スクールで学んでからは「もう大丈夫」みたいな感覚があるから、「そのまま進んで大丈夫だよ」って言いたい。……そう思えたら、自分のことを初めて「愛おしいな」と思えるようになりました。
――Kちゃんは最近、ヤングケアラーの支援活動を始めたんですよね。

はい。病気の親を介護する子どもだけでなく、難病や命の危険がある病気の子どもの兄弟たちも、親に構ってもらえずに苦しみや悲しみを抱えているので、そういう子どもたちの支援もやっていきたいです。また、ヤングケアラーに限らず、被虐待児や被虐待児だった親世代にも関わっていきたいと思っています。私としては、被虐待児もヤングケアラーに含まれると思っているので。

Kちゃんもまさしくヤングケアラーだよね。親の愚痴をずっと聞かされるとか、感情のはけ口にされるとか。Kちゃんが自分の経験をもとに発信していってもいいと思うよ。Kちゃんと似た経験をしている人たちが、「私、ヤングケアラーだったんだ。よく頑張ってきたなぁ」と気づくことで癒される人がたくさんいると思うよ。

自分が発信することで救われる人がいるなら、発信していきたい気持ちはあるけど、怖さもあるんです。でも匿名だったらできるかな。勇気を出して発信してみようかな。

Kちゃんが経験してきたこと、癒されてきたことはギフトなんだよ。「嘆きの中に天命あり」という言葉はスクールでも紹介したね。苦しみの渦中にいるときはそんなふうには思えないかもしれないけれど、その経験はギフトなんだよね。自分が経験した「痛み」や「苦しみ」は、何もしなくても「愛」や「やさしさ」となって人に伝わっていくと思うから、そんなところにKちゃんの役割があるかもしれないね。
――これまでの経験がKちゃんのこれからのやりたいことへと導いてくれてるね。Kちゃんの人生の新章のスタート、応援してますね!今日はありがとうございました。
(インタビュー・文 前田はるみ)