社会人になってからずっと、感情を表に出さず、冷静沈着さを身にまとい会社人間として生きてきたじんみちゃん。自分が何をやりたいかなど考えることなく、走り続けてきました。
スクールで初めて信頼できる仲間と出会い、「自分のままでいていい」と思えた経験を通して、自分が会社でやりたいことが見えてきたと言います。少しずつ自分を取り戻し始めたじんみちゃんに、自己イメージの変化やこれからの人生に思うことをうかがいました。
役割の仮面を外したら、会社でやりたいことが見えてきた
じんみちゃん(50代、会社員、スクール3期生、4期再受講)
ずっと会社人間として生きてきたけれど
――まず、スクールに入るきっかけから教えてください。

スクールに入るきっかけは、ミレイちゃんに誘ってもらったからです。共通の知人を通じて声をかけていただきました。
当時は自分に課題があるとか、生きづらさがあるとか、まったく思っていませんでした。これまで当然のように会社人間として生きてきましたから。あえて言うなら、社内でのポジションが上がって、責任も重くなるタイミングで、漠然とした不安があったくらいです。あと何年かで定年を迎える歳になり、「私の会社人生って何だったんだろう」という虚しさも感じ始めていたかもしれません。

私もじんみちゃんに課題があるとは思っていませんでしたよ。でも、じんみちゃんは漠然とした不安や違和感からスクールに飛び込んできてくれたんですよね。そうした不安や苦しさ、違和感とか、自分の中のネガティブなことに気づくのは能力だと私は思ってるんです。それに気づいて、よく飛び込んできてくれましたね。

ミレイちゃんが声をかけてくれたとき、つながりを感じてすごくうれしかったんです。
実を言うと、「仲間が欲しかった」というのが一番の動機だったかもしれません。私はこれまで、「信じられる人間関係」を会社でもそれ以外でも作ろうとしてきませんでした。それで寂しいとも思わなかったし、それが私の人との付き合い方だし、会社人ってそんなものだと思ってたんです。でも本当は、自分が信じられる仲間が欲しかったのかもしれない。

私もじんみちゃんと仲間になりたかったんだよ。

あぁ、それを聞いてすごくうれしい。
構えずにいられる場所
――スクールに入ってどうでしたか?仲間とは出会えましたか?

はい!3期のメンバーは年齢も生活環境も違うけれど、ミレイちゃんが作ってくれる安全安心な場だから、最初から仲間だと感じられたところがありました。ミレイちゃんのつながりで参加している人たちだから絶対に大丈夫。そんな安心感がありましたね。
それまで私、「安全安心の場」というのがどういうものか、わかってなかったんです。「これが安全安心の場なんだ」と体感覚でわかったときは衝撃でした。
――安全安心というのは感覚だから、説明するのは難しいと思いますが、じんみちゃんにとって安全安心は言語化するとどんな感じですか?

まず、自分をつくらなくていい。構えなくていい。自分でいられる。自分でいることを認めてもらえる。私は感情表現が得意ではないので、なかなか怒ったり、泣いたりできないのですが、それが徐々に出せるようになりました。そこにいるだけでいい、何もしなくていていいんだ。そんな感覚ですかね。
――自分が構えなくていい場所に行くと、普段の自分がどれだけ構えているかにも気づきますよね。会社人としての自分を見つめ直すきっかけになったのでは?

それはありますね。構えていることに何の疑問も持たず、「いい子でいるべき」「こういう役割を果たすべき」という自分でずっとやってきたことに気づきました。「社会人なんだから感情的になってはいけない」「感情は絶えず一定じゃないといけない」とも思っていたから、怒ることも、泣くこともせず、ずっと自分の感情を隠していました。人当たりのいい人と思われたいから、いつも笑顔でしたし。

顔で笑っていても、別に楽しいわけじゃないしね。

そう、社交辞令的な笑いだから、楽しいわけじゃないんです。そう考えると、心の底から笑ったのってどれくらいあるんだろう。会社の中でポジションが上がれば上がるほど、ニコニコして落ち着いたフリをするのが辛くなっていきました。
仲間がいるから、自分にも向き合える
――スクールの仲間は、じんみちゃんにとってどんな存在ですか。

私、みんなのことを純粋に「すごい」って思うんです。それぞれに自分と向き合って、自分の人生を好転させたいともがいて頑張っている。そういう姿が美しく、可愛く思えます。仲間を見ていると、私もちゃんと自分に向き合おう、と思えるんです。そうやって仲間の存在にはいつも背中を押してもらっています。
――自分に向き合うには苦しさも伴いますが、仲間がいると心強いし、励みになりますね。

そうなんです。自分でも不思議なのは、仲間と自分を比較して、相手に嫉妬したり、できない自分に落ち込んだりしないことです。もちろん、多少は比較して、「私はまだそこまで到達してないな」と思うこともあります。でも、嫉妬心や劣等感で自分を痛めつけることはしていないですね。
それこそ職場では、他人と比べて劣等感を抱いたり、逆に「私のほうができている」と優越感を得ることで、自分に自信をつけたり、自分の存在感を示そうとしている自分がいます。でも、スクールではそんなことをしなくても、自然体でいられます。仲間と比較する必要もない。「私、相手のことを妬んでない」と思えることも、相手のことを仲間と感じられる瞬間ですね。

かくいう私も、「仲間が欲しいな」とずっと思って生きてきたんです。私の夢はハリーポッターのように仲間がいて、同じ目標を持つ仲間と一緒に悪と闘う、みたいな。別に闘わなくてもいいんだけどね(笑)。でも、「仲間がいる感覚」って、「心理的安全性」や「安全安心」と同じで、体で感じるものだから、実際に体験しないとわからないですよね。

本当にそうだと思います。
会社でも「安全安心な場所」を広げていきたい
――スクールで印象に残っていること、あるいは自分の変化に気づいたことなどありますか。

ミレイちゃんが私たちにくり返しかけてくれた言葉がとても印象に残っています。「あなたのままでいいんだよ」「もう十分頑張っているよ」って。日常生活でもこれらの言葉がふとした瞬間によみがえってくるくらい、自分の中に染み込んできています。
最近は、私自身が会社で周りの人に言えるようになってきています。「あなたも頑張ってるよ」「このままでいいんだよ」と自分の言葉で自然に言えるようになってきたかな。
――会社でそれを言ってくれる人、なかなかいないですよね。「ここができてないよ」と言われることはあっても。

そうなんです。「あなたはここが足りない」とか「ここまでやらなきゃダメだ」とか、マイナスばかり指摘される世界だなと思います。
――変なことを聞くかもしれませんが、スクールでいろんな気づきがあって、じんみちゃん自身が変化していくと、会社で働くことがつらくなったりしませんか?会社の環境は変わらないわけですから。

あぁ、それはあります。「息苦しいな」と思うことがときどき。

自分らしく生きようとすると、今まで無理して我慢してきたことに耐えられなくなったりしますよね。それで転職や休職、退職したりする人がこれまでのスクール生にもいました。スクールの“副作用”と言えるかも(笑)。

そっか(笑)。
今なら、心が疲れたら、会社を辞めたり休んだりすることは自然なことだと理解できます。でも、以前はマイナスにしか捉えてなくて、「休職=逃げる」と思っていました。そうじゃないんですよね。自分を見つめて、自分を大事にした結果が休職や退職になっただけ。それって本人に必要なことだし、そういう道もあるよね。そう思えるようになったのは、私の中での大きな変化です。

私もそう思います。会社を休んだり辞めたりすることは、決して負けでも逃げでもないし、真剣に生きるからこそなんだよね。何も感じずに働き続けている人のほうが私は不健全だと思うのね。感情を抑えてないと働き続けられないのが日本の会社組織だから。

そうですよね。自分を抑え続けて、本当は息苦しくてストレスが溜まっている会社人が結構いるんじゃないかと思うんです。かつての私がそうだったように。
かといって、会社の中では自分の気持ちを吐き出せる場所がありません。吐き出したら「おかしな人」と思われちゃうから。だったら、私が社内で安全安心な場所を作って、自分の気持ちに素直になれる場所を少しでも広げていけたらと思っているんです。
役目を果たすのに、「私は私のままでいればいい」
――社内での安全安心な場づくり。素晴らしいチャレンジですね。じんみちゃんのように考える上司が一人でも二人でもいたら、職場環境はだいぶよくなると思います。

それができたらいいな。そのために私はトライしたい。でも、会社は目標達成のために不足しているところを探して指摘するスタンスもあるから、安全安心な環境づくりとは逆行していると思うのです。

会社組織に属していると現実との折り合いもありますよね。

そこが難しいと感じます。でも、職場のあり方に疑問を持っている人はいるはずだし、その人たちと何かできることがあるんじゃないかと思っています。それができれば、会社人として「やり切った」と思えるものが残せるかもしれない。
私は自分が何をやりたいのかも考えずに走ってきましたが、この会社で長年働いてきた私の果たすべき役割がきっとあるんじゃないかと思うんです。それを探してみたい。それはもしかしたら、後輩たちに安全安心な職場環境を残すことかもしれない。自分なりに「やり切った」と思えるものを残して、この会社を卒業したい。それまではもう少し頑張ってみようかな。

じんみちゃんは、会社の後輩たちやチームのことを、自分のこと以上に大事に思っているね。次世代の人たちのことを語るときに、じんみちゃんからすごくエネルギーを感じるよ。

あぁ、そうかもしれない。自分がいることで部下や後輩たちを守れるとか、彼らが羽ばたいていけるようにサポートするとか、そんな存在になれたら一番いいのかもしれないな。自分が何かやりたいというより、そういう存在や役割でいたいんですね。

その役割を果たすうえで、じんみちゃんがじんみちゃんでいることがとても大切なことなんだと思うよ。特別に何かをしなくても、じんみちゃんでいるだけで価値ある存在なんだと思います。

私が私のままでいる――。そうか! 会社に属していると、価値ある人間と思われたいとか、褒められたいとか、見返りを求めたくなるけれど、ただ私のままでいればいいんですね。今のミレイちゃんの言葉に腹落ちしました。
しなやかな強さを受け容れて、統合していく

ミレイちゃんがさっき「エネルギーを感じた」と言ってくれたけれど、自分ではあまり気づいていませんでした。自分のエネルギッシュな側面に気づけたことはうれしいし、自分ではとても意味あることです。
その反面、「自分は本当はもっと強いはず」と信じている私もいるんです。私はもっとエネルギーがあるし、芯も強い。でも、それを表現してこなかった。なぜなら私は「いい人」だから。相手に対して怒りを出さないのは「いい人」だから。そう思い込んでいた節もあります。

じんみちゃんに感じる「強さ」は、男社会で闘うような強さというより、「肝が据わる」って感じかな。性別で区別しないほうがいいかもしれないけれど、「男性的な強さ」と「女性的な強さ」があって、これらは違うと思うんだよね。
必ずしも男性と同じ土俵で闘わなきゃいけないとか、理論武装しなきゃいけないということではなくて、母性としての「安心感」や「しなやかさ」がこれからの会社や社会には求められていくと思うんです。女性的な強さは女性だけではなく男性にも必要で、それがあると会社はもっと安全安心な場所になる気がしますね。
――今イメージが湧きました。じんみちゃんがしなやかに柔軟に周りの対抗勢力をかわしながら、信念を持って社内に安全安心な場所を広げていくイメージ。

そのイメージ、いいかも(笑)。私にはそれが理想かもしれないです。うん、それだったら、私という存在を生かしながら役割を果たせそう。そのために私はこの会社にいるんだ、と納得できます。なんだか気持ちがラクになって、展望が開けた感じがします。

心の学びに取り組んでいくと、最初は自分のネガティブな面や弱いところを見ていくわけですが、「これは本当に嫌だったんだな」とか「私、怒っていたんだな」「悲しかったんだな」と十分に感じてあげると、次に自分の中にある強さも見えてきます。
人には、弱いところもあるけれど、強いところもある。ファイティングポーズの強さじゃなくて、しなやかな強さ。そういう自分を受け容れて統合していくことを、これからじんみちゃんは人生や職場でやっていくんだろうな。そんな気がしています。

自分の弱いところを見て、それから強いところを見ていくんですね。

まずはそこだと思うんですよね。

わかりました。弱さも強さもある本当の自分に直面するのって怖いけど、スクールの仲間がいてくれるからきっと大丈夫と信じて、進んでいきたいです。
(インタビュー・文 前田はるみ)